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ポン菓子機を作った人は八尾市出身!『バケモンの涙』はこんな話

今回は八尾市出身の女性を描いた小説のご紹介です。

突然ですが、みなさんは「ポン菓子」ってご存知ですか?

筆者が子どもの頃は、道端でポン菓子の機械を載せたリヤカーが止まっていることが多かったのですが、最近はめっきり見掛けなくなりましたね。

昭和の子ども達のオヤツとして広く知られたポン菓子ですが、ポン菓子を作る機械「穀類膨張機」を日本で作ったのは八尾市出身の女性だったんです。

歌川たいじさんの小説『バケモンの涙』はポン菓子を作る機械を開発した、吉村利子さんの半生を描いた作品なんです。

小説を読んでいると「龍華町」や「久宝寺」といった八尾市の人なら誰でも知っている地名が登場します。

(前略)大きなお寺も学校もありましたし、軍の飛行場などもありましたけれど、どこを歩いても土の直井のする、あまり人の行き来のないまちでした。そんな地味な街に龍華町とい美しい名前がついていたのです。(後略)

『バケモンの涙』 歌川たいじ より引用

軍の飛行場と言うのは、八尾市の人ならお馴染みの八尾飛行場のこと。そして龍華町は市立病院のあるJR久宝寺駅近辺の地名です。

バケモンの涙 歌川たいじ

バケモンの涙

とことん八尾
私は図書館で借りて読みました。八尾市内の図書館に置いていますよ~

あらすじ

『バケモンの涙』の主人公は「ポン菓子」を作る機械「穀類膨張機」を開発した実在の女性、吉村利子さん。(物語では本名ではなく「トシ子」と表記されている)

物語の舞台は第二次世界大戦の頃。主人公のトシ子は八尾市、龍華町の旧家で「いとはん」として育てられたお嬢様。

トシ子の両親はトシ子が幼い頃に離婚。厳しい祖母やばあやに囲まれ何不自由なく生活していた。トシ子は勉強が大好きで今で言うところのリケジョ(理系女子)。成長したトシ子は小学校教師として働きはじめる。

戦争は激しさを増し、食料も燃料もなく、生のままの雑穀を食べるしかない教え子たちは、消化不良で全員が下痢の毎日。栄養不足から感染症などで命を落とす子もいた。

トシ子は「子どもの命を助けたい。腹いっぱい食べさせたい」と強く願う中で、少ない燃料で大量の穀物が食べられるポン菓子の存在を知る。

ポン菓子製造機を作ろうと使命感に燃えるトシ子は女ひとり九州に乗り込み、ポン菓子製造機工場を立ち上げるために奮闘する。

出版社の方が作った1分動画もあります


感想

『バケモンの涙』を読んで、まず思ったのは「朝の連続テレビ小説になっても不思議じゃない話だなぁ」ってこと。

「頑張るヒロイン」の物語って、なんだか元気が出ますよね。

『バケモンの涙』で主人公のトシ子は周囲の人から「苦労知らずのお嬢様育ちには分からない」と何度も何度も言われ続けます。

トシ子は下痢と栄養失調になった教え子を見舞った時に、お見舞いにと米を持参するのですが、教え子の家には米を炊く燃料がなかったのです。

「そんな米もろたかて、先生、炊く燃料がありませんがな」

「こんなん、ええとこのお嬢さんには、わからへんやろ」

『バケモンの涙』 歌川たいじ より引用

そこでトシ子が思いついたのが、子どもの頃、父親に連れられて外国菓子博覧会で見た穀類膨張機だったのです。「少ない燃料で米を加工することが出来れば、沢山の子どもを救うことが出来るのでは?」

「戦時中に菓子を作る機械を作ろうだなんて不謹慎」と言われながらも「子ども達にポン菓子をお腹いっぱい食べさせたい」と言う熱い想いで頑張るトシ子の姿はグッとくるものがありました。

実はこのポン菓子機。救ったのは子ども達だけではなかったんですよね。

ポン菓子機は終戦と同時に完成するのですが、ポン菓子機をリヤカーに乗せて売り歩くことは復員兵の良い収入源になったそうですよ。

そしてポン菓子は一時期、廃れていましたが、最近は「健康的なオヤツ」として見直されていて、ポン菓子の専門店やカフェも広がりを見せているようです。

ポン菓子を作る機械を作った人が女性だった…しかも八尾市出身だったは!

気になる方は是非、手に取ってみてくださいね。図書館でも貸し出し中ですよ~。

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